杉本容子の考える
水辺の暮らしと仕事
今回は、川口お旅所の屋上へ。こうして拝見するといいなぁという感想ばかり浮かんできますが、もともとは屋上に上がれる建物ではなかったそう。もっと川を間近に。その思いは想像する以上に強いものだったようです。
#1 はこちら
工場からご近所さんとの交流を生む場へ
リノベーションをする前、看板屋さんだった頃は入り口がシャッターだったそうです。今はシャッターを開けっぱなしにして、車が止められるように入り口の位置が少し内側にさげられています。
“白い建物に、赤い螺旋階段と青い庇が映えていました。この螺旋階段も、実はリノベーションで取り付けたもの。
杉本:通りに面してガラス張りにしたことで、街の人とのコミュニケーションが生まれました。建物に興味を持って「中を見せてもらえませんか」と来られる方も多いんです。それがすごくおもしろいですね。外に対してどのくらい開いた場所にしていくのかは、まだ実験しながら試行錯誤しているところなのですが。
サルスベリの木は、恩師のお庭から譲られた大切なもの。
前庭には、アジサイやサルスベリなどの花が植えられています。庭づくりを担当したのは、屋外空間の設計・計画のプロフェッショナルである夫の武田重昭さん。植栽のデザインは武田さんが親しくしている造園家で恩師の井上剛宏さんが行い、武田さんが指導している学生が植え込みを手伝ったのだそうです。みずみずしい植物の描く曲線が、白いボックス型の建物に柔らかな印象を与えていました。
杉本:この庭も、ご近所さんたちがすごく喜んでくれていて。言われてみれば、川口の街は倉庫や工場が多くて、通りに緑がないんですね。「お花が咲きましたね」「いつもきれいだね」と声をかけてもらえる、いいコミュニケーションツールになっています。
川口再居留地化計画、始動!?
赤い螺旋階段で屋上へ登ると、そこは木津川を見下ろす水辺テラスになっていました。夏の夕涼みにぴったりなのはもちろん、東向きなので冬場も暖かいのだそう。木津川のさわやかさを堪能できる、最高のロケーションです。
対岸の江之子島には、明治から大正時代にかけて大阪府庁が置かれていました。旧庁舎はすでに取り壊されているものの、唯一現存している官舎・木村家住宅主屋の瓦屋根はテラスから見ることができます。
瓦屋根の建物が木村家住宅主屋。
杉本:明治時代にはすぐ近くに外国人居留地もあったんです。でも大阪府庁が移転してしばらくすると、川口はいわゆるインナーエリアになってしまいました。
今でもすごくいい雰囲気は残っているので、もっといろんな人が訪れる場所にしていけたら面白い。夫と私で勝手に「川口再居留地化計画」と名付けて、これからのことをあれこれ考えています。
杉本さんの話を聞きながら、武田さんも「居留」という言葉の魅力について語ってくれました。
武田:「居留する」っていい言葉ですよね。いろんな人が来て、棲み止まることができる場所が居留地。ここは居留地のすぐ近くにある雑居地なんですけど、いろんな人が雑多に暮らす街という雰囲気も悪くないと思います。
2階の窓際に飾られたフラミンゴのオブジェ。川をゆく船からもよく見えるそうです。
さらに歴史を遡ると、江戸時代には川口お旅所が建っているあたりに大阪天満宮の御旅所があり、天神祭では船渡御の目的地になっていたといいます。
杉本:「川口お旅所」の名前はそこから考えました。すごく悩んだんですけど、いろんな人に出入りしてほしいので『旅』という言葉がぴったりだと思ったんです。
川に接した家を選んだ理由
そもそも、杉本さんが水辺に惹かれるようになったのはいつ頃からだったのでしょうか。
杉本:実家は神奈川県なんですが、川沿いにあったんです。中学校も高校も、水辺を通学していました。そうやって育ったので、大学進学で大阪に来たときはあまりにも水辺がないのでカルチャーショックを受けました。
幼い頃から川に慣れ親しんでいた生粋の水辺好き。大学時代、研究室に配属されて初めて書いたレポートも「川と私」というテーマだったといいます。だからこそ、故郷とは違う大阪の川の姿にはなかなか愛着を持てなかったという杉本さん。気持ちが変わるきっかけになったのは、まちづくりのコンサルタントとして「水辺のまち再生プロジェクト」というNPO団体に出会ってからだったそうです。
杉本:最初は仕事を通して出会ったんですが、そのうち自主的に参加するようになりました。「純粋に大阪の川が好きだから、よくするためにできることをしよう」というメンバーが集まっていて、すごく新鮮だったんです。みんなで川を見ながらビールを飲んで、おもしろいことを考える。仕事のつながりでもなく、地元が同じわけでもない、新しいコミュニティが水辺で生まれていて、それが楽しくて。私にとって、大阪に対する愛着のルーツもそこにある気がします。大阪の川にもどんどん愛着が湧いてきました。
その後は住吉区のマンションなどに住んでいましたが、出産後に引っ越しを考え始めたそうです。
杉本:子育てをしながら仕事をするのって、やっぱり大変なんですね。だから自分が心地いい環境に住みたくて、そうなると川沿いしか思い浮かばなかった。都心部にあって、道路を挟まず直接川に面している敷地を、ベビーカーを押しながら探し回りました。それで、今の家を発見したんです。
そのときはまだ看板屋さんとして営業されていて、完全に工場でした。川に面した窓は小さくて開けないと川も見えなかったけど、ぶち抜けば景色もいいはずだと確信して。手を入れればどうにでもなると思ったんです。
工場だったとき看板の上げ下ろしをしていた穴を活かして、1階から屋上までストーブの煙突が伸びています。
トイレのコンセプトは「従前の展示館」。工場だった頃の様子やリノベーション中の写真が飾られています。
杉本さんが考えた通り、リノベーションによって工場から快適な水辺の住まいへと姿を変えた川口お旅所。
お話を伺っている間にも窓の外をたくさんの船が行き交い、飛び上がった魚が飛沫をあげていました。水がきれいなので生き物が多く、冬には水鳥もたくさん訪れるのだそう。
杉本:光の具合によっては、水面のキラキラが天井に反射したりもするんです。夜もすごく気持ちがよくて、日中に嫌なことがあっても川を見ているだけで水に流せます。
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まちづくりのプロフェッショナルが挑戦した住まいとコミュニティのための1棟の建物。自分の家には違いないのですが、これが街や都市にもつながっていく実験なんです、という話を次回に。