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小川諒、由岐中みうる、内木洋一
(TAKIGAHARA FARM/滝ヶ原ファーム)

#3 もらうことは与えること。

TAKIGAHARA FARMが掲げるコンセプトのひとつに、「言葉・写真・映像など、アートやデザインといった新しい視点で、農的生活を情報化する」というものがあります。小川さん、由岐中さん、そして内木さん、それぞれ表現者でもある3人は、ここで何を感じ、どんな未来を描いていくのでしょうか。

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表現という意味では、小川さんはここでの生活を“自身のアートワーク”とおっしゃっていました。内木さんと由岐中さんも、それぞれデザインや食という表現者の一人としてみたとき、この場所と自分との関係性ってどういうふうに見ているんでしょう。

内木:僕は、これまで鎌倉で培ってきた写真や企画の仕事と、農とか手仕事のようにライフワークで取り組んできたものが自然とクロスする環境だなぁって。だから、自分の生きることの本質を満たしてくれる場所だと感じています。今まで外資系商社でマーケティングとか医療メーカー向けのコンサルティングもやってきたんですけど、ここまで大きく方向性を変えたのは人生で初めてなんですよね。ただ、自分がちゃんと研鑽しているものがあればどこにいっても新しい価値が生まれてくる。それに、自分の動く場所によって構成する要素もどんどん変わってくるんだなぁって。

自分が動く場所によって、構成する要素は変わってくる。

由岐中:そうそう、私も、食べる側からつくる側に回って、今ではカフェの店長をしてるくらいですし(笑)。それで言えば、もともと自分の性格的に「この人に会いたい」と思ったら会いに行っちゃうタイプなので、この間、「TAKIGAHARA FESTIVAL」っていうイベントを開催したときに、ちょうど季節柄採れる野菜が少なかったこともあって、いろんなとこ駆けずり回ってました。

こぢんまりしたこの集落で、一体どこを駆けずり回るっていうんですか(笑)。

由岐中:この辺りは家に鍵とかかけないんで、近所のおじいちゃんとかおばあちゃんの家をガラガラって開けて、「こんにちはー、いるー?」みたいな。そしたら「あがっていき」とか「畑みていき」とか言われるので、その流れでちゃっかり野菜たちも一緒にもらって帰るという。

第一声が「いるー?」からの、ちゃっかり野菜をもらって帰る。もはや、みんなの孫状態ですよね。

由岐中:そうそう(笑)。いつも野菜を持って来てくれたり、一緒に手伝ってくれたり、このカフェにお金を落とす仕組みを一緒に考えてくれたり。みんな、70代のおじいちゃんおばあちゃんとかなんですけどね。

内木:僕も、ハーブガーデンをするにあたって、「自分たちができる範囲で、何をどうすればできるか」っていうことを、いつも地元のおじちゃんたちに聞いたりしてます。もちろん年配の方だけじゃなくて、例えば河北潟の「ハーブ農園ペザン」さんにアドバイザーをしてもらったり、加賀の「KALE Kitchen」さんに、誰でも簡単に始められる新しいプランターの開発に協力してもらったり、近隣で活躍している同年代の若手とも、ほんとに仲良くさせてもらってます。

まさにファームのごとく、小さなタネがどんどん散らばって、育って、大きな実になりつつある。なんだかそんな印象を受けますね。

内木:ただ、オープンなコミュニティという自由さにも、やっぱり“招く・招かれる”、“もてなす・もてなされる”みたいな目に見えない関係はつきものなので、「自分が何者なのか、今なにをやりたいのか、そしてあなたにどういうふうに関わってもらいたいのか」を、ちゃんと説明するようにしています。そのうえで、互いのやりたいことを協力しあうことで恩が返せたりする。そんなプロジェクトを一人ひとりがここで持てたらいいなって。

小川:ここは基本的に、お金を頂いてサービスを提供する場所ではないというのが前提にあるんですけど、結局どんな店も、例えばコーヒー1杯を提供することで、コミュニケーションを生み出していく。そこに、場の本質があると思うんです。だから、逆にサービスが提供されてないからこそ、本当に興味のある人や、本質的に理解や共感をしてくれる人が集う、自主的な場になることが往々にしてあるわけで。

なるほど。わたしがここを訪問する前に感じていた「何をやってるのかわかるんだけど、わからない」感。それは、この場所が決まったゴールに向かっているわけじゃなく、集う人によっていかようにも形を変えていける場所だから。今はまさにその真っ最中ということですね。

内木:たしかに、普通はもうちょっとビジネスマインドがあって(笑)、ここにあるものをなんとか形にして、お金に替えようっていう発想がスタンダードだと思うんですが、ここは全くの逆。生活の中で生まれてきたものを、そこに入ってきて関わった人がやることで、カタチになっていく。みんなで何かをつくっていくという意味においては、まさにTAKIGAHARA FARM全体が、“シェア”そのものなんじゃないか、って。

由岐中:ほんとにそうですよね。例えばいただいた野菜を目の前にして、「今日はどうやって美味しく食べようかな」って考える。そうやって日常の中で自然に考えることの延長線上に、たまたまこのカフェがあると。だからこそ、“流動的である”っていうのが、この場所の最大の魅力だとも言えるんじゃないかな。

あ! さっき、ふらっと寄られたゲストが、カフェに置いてある野菜みて、「今からこれでキンピラ作ってもいい~?」って言ってましたよね。それを聞かれた由岐中さんの答えが、まさかの…。

由岐中:「うん、いいよ~」って(笑)。今しかない瞬間、空間で、そのときの一番美味しい旬のものをつかって、そのときにいる人たちとつくり上げられる場所。それがこのTAKIGAHARA FARMにしかないコンセプトだと思うんです。

なるほど。取材中も、ひっきりなしにいろんな人たちが顔出しにきますもんね(笑)。これ、毎日こんな感じですか?

由岐中:そうそう、ほぼこんな感じです(笑)。でも、実はこの場所、まちの中でも一番端っこなので、わざわざ来ようと思わないと来れないところなんですよね。だからこそ、みんながこの場所のために来てくれてるっていうのが、私たちもよくわかるから本当に嬉しいことで。何だかもらうことが多い日々だけど、でもこれは受けとるだけじゃない。もらうことは与えることで、お互いに何かを交換しあっている。だからこそ私は、食べるということを通じて人をつなぎ、みんなにいい舞台を用意してあげることが自分の役割なんだなって、最近すごく気付かされてます。

この場所に身を置いてみて、自発的な秩序のうえに成り立っているヒッピーコミューンのようにも思えるし、たえず動いていて来るたびに印象を変える、巨大なインスタレーションのようにも思えてきました。

内木:たしかに、ライブ型のギャラリーというか、みんなで有機的な芸術活動を行っているようにも見える不思議な場所ですよね。ただやはり住むという行為は、生活の中で組み立てていくものがカタチになって、そのプロセスが全部学びに直結するものだと思うんです。でも、「生きること=食べること、学ぶこと」っていうシンプルな気付きは、当たり前すぎて、一人でいると、実は見えてこないものなんだなぁって。だからこそ老若男女、地元、東京、海外…出身地、生業、根を張る場所の全然違うモノや人同士。そんなものたちが一緒に集うことではじめて、生きることの共通言語が見えてくる。そこには必ず、“農”と“食”があるということ。そんな基本に目を向けられるのが、TAKIGAHARA FARMなんだろうと思うんです。

「TAKIGAHARA CAFE」の営業は、毎週金曜~月曜の9:00-16:00まで。
写真は、5月に行われた「TAKIGAHARA FESTIVAL」での様子。

文:喜多舞衣 写真:シミズカナエ
(2017年7月6日掲載)


THE BORROWERS

借り暮らし、貸し借り、賃貸にどんな可能性がひそんでいるのか。多彩に活躍する方々へのインタビュー取材を通してその魅力に迫ります。いいところ、大変なところ、おもしろさ、面倒くささ…きっといろんなことが浮かび上がるはず。

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