西尾:役者を選ぶときに、どこで木竜さんを最終的にこの人だなと思えました?
野尻:先ほど言った、むき出しの感情があったことと、彼女はそれを自分自身で見つめても恥ずかしくないって思ってたことが一番大きかったです。役者さんにとって、自分の意識と感情を出す芝居ってツライんです。彼女の場合、そのツラさとまず向き合うことができました。あと笑ったときの笑顔が良かった。重いテーマではあるけど、映画自体は柔らかく明るいトーンにしたかったので。彼女が笑うことで映画の雰囲気も明るくなると思いました。
©松竹ブロードキャスティング
西尾:木竜さんは今回の演技で、説明をする芝居を極力なくしている。その点で苦労したところはありますか?
木竜:起きてることに対して素直に反応するというか、そんな大きく反応しないのもリアルだと思いましたし、説明がないことに対してやりづらいとか不安というのは全然なかったです。大きな出来事があっても家族は生きていて、暮らしていて、ご飯も食べるし部屋の掃除もする。学校にだって行くし、部活だってやる、ていうことを普通に描くというのは、私はスッと入れました。
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西尾:「家」についてなんですけども、この映画でとても印象に残るのが自死した兄・浩一の本棚でした。浩一という人物を見せる上で、本棚を描いたのは監督ご自身の実体験からですか?
野尻:自分を社会から閉ざしたり、引きこもる人は、生きることに対して誰よりも真剣に考えている人たちだと思っています。生きるってことを考えるために本を読んで、音楽も聴いて芸術にも触れる。そういう彼の脳内をちゃんと表して、浩一と向き合いたかったので、本棚の描写にもつながったと思います。
西尾:浩一の部屋から見える、窓の外の風景については。
野尻:この映画では閉ざした浩一の心の象徴である部屋をメインセットと考えていました。その窓から対比として普通の幸せな家が広がっている。そんな風景が欲しいなと思ってロケ場所を決めました。
西尾:あの家でのロケはどれぐらいの期間だったんですか?
野尻:27日ぐらいです。
西尾:休憩中だったりによくいた場所ってどこですか?
野尻:和室かな…あ、違う、リビングですね。あのクライマックスの店屋物を食べていた場所。
木竜:私は、空き時間に好きだなと思って座ってたのは、和室の縁側。大きな窓があって、なんか好きな場所でよくそこにいました。
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西尾:ロケを終えて家から離れるときはどんな気持ちでした?
野尻:このまま家を残してほしいな、とは思っちゃいました。
西尾:え、無くなっちゃう?
野尻:スタッフが美術を作りこんだ家で、元は空き家だったんですよね。先月ぐらいに次の買い手が決まったみたいで、それもちょっと寂しかった。
木竜:私、クランクインの前かな、カメラテストで監督とスタッフのみなさんでおじゃましたときに、ここは本当に鈴木家の家だなと思ったんですね。それを作り出したスタッフのみなさんがすばらしいんですけど、この家で撮影できたのはすごくうれしかったし、鈴木家が暮らしてるんだなって思いました。
西尾:最後に、この映画について監督からひと言お願いします。
野尻:僕は、家族というものがわからなくてこの映画を撮りました。家族って近かったり、遠かったり、愛すべきものだったり、人によっては厄介な存在だったりするものかもしれない。それでも、少し前を向いて歩いていけるような映画。見終わった後にみなさんが家族のことについて思い出せるような映画になっていると思います。
<取材後記>
兄の部屋の本棚の話題が出てきたが、そこに並ぶ本を見て、とても丁寧に作られた映画だな、と思った。私が亡くなった友人や知人を思い出すときに一番に浮かぶ場面が、窓から柔らかい昼の光の差す部屋と本棚で、なぜか夜ではないし、遊びに行った思い出とかでもない。「あぁ、あの人はあの漫画が好きだったな」「そういえば写真集、一緒に見たな」と懐かしい気持ちに浸る。だからこの映画の本棚と窓はそんな私の個人的な記憶を刺激し、さらに温かい笑いを与えてくれた。
取材時にスチール撮影の平野愛さんが監督と木竜さんを窓辺に座らせ、その笑顔と柔らかい光にシャッターを切るのを見ながら、ひょっとしたら平野さんも似た記憶を持ってるのかな? なんて思った。
映画『鈴木家の嘘』
出演:岸部一徳、原日出子、木竜麻生、加瀬亮、岸本加世子、大森南朋
監督・脚本:野尻克己
配給:松竹ブロードキャスティング/ビターズ・エンド
劇場:シネ・リーブル梅田、なんばパークスシネマ、MOVIX京都、神戸国際松竹ほか、全国ロードショー中
www.suzukikenouso.com
取材・文:西尾孔志 写真:平野愛 編集:竹内厚
(2018年11月28日掲載)