西尾孔志が聞く、
『鈴木家の嘘』野尻克己監督
&木竜麻生インタビュー
デビュー作というのは誰にとっても一度しか撮れない、だからこそ作り手の思いがたっぷり込められます。「デビュー作にはその監督の資質の全てが詰まっている」と言われるのはそれゆえでしょう。
長男が自死し、残された家族の再生を描いた野尻克己監督の『鈴木家の嘘』は、監督の実体験から生み出された、切なくて可笑しいコメディ映画。東京国際映画祭《日本映画スプラッシュ》部門で作品賞を受賞したばかりの野尻監督と、ヒロインの鈴木富美役を演じた木竜麻生さんにお話を伺いました。
©松竹ブロードキャスティング
西尾:この作品の成り立ちとしては、ご自身の体験がもとだと伺ったのですが?
野尻:随分前なんですけど兄が亡くなって。それまでは家族って空気みたいな存在で、自分にとって大事だとか大事じゃないとか考えもしなかったけど、兄が死んでからは肉体の一部を持ってかれるような気持ちになったんですね。それから「家族って何だろう」ってことにとらわれるようになって、その「わからない」ってことを書いてみようかなと思って、徐々に脚本になっていきました。
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西尾:木竜さんはどの段階で脚本を目にされました?
木竜:最初にこの映画の面接を受けたときは、全部ではなく2シーンぐらいでした。
野尻:オーディションがあってワークショップをやったんですけど、そのときは全部の脚本は渡してないですね。
木竜:全部ではない中でも、私の役の《富美》とお父さんやお母さん、おじさんとのやりとりがあって、こんなにも登場人物に対して愛おしいなあって思える脚本なのが本当に素晴らしいと思いました。人の後ろにあるものが見える脚本だな、と。
西尾:最近は映画の中で「死」というものが、わりとあっさり情報処理されていると思うんですけど、この作品は、死を引き延ばしていくというか、潔くない。それは悪いことではない、という監督の世の中に対しての価値観みたいなものが見えたりしたんです。ちょうどニュースにもなってる「自己責任論」には与せず、もがいてもいいんじゃないか。どんどん引き延ばしてもいいんじゃないかと。
野尻:社会に対して啓発しようという気持ちは特にないけど、社会を写すことで人間の姿が見える。嫌なことを見ないようにする、自分の傷を見つめないことで他人に対しての想像力がなくなる社会があるとする。そういう背景に登場人物を置くことで、立ち位置や想いが伝わると思っています。映画に客観的な視点を与えるということです。
僕は、人が後悔するってことが一番人間らしいと思ってます。後悔って人間だけのもので、「ああすればよかった」ということは、もっと大切にしていいと思う。そこに、実はその個人が持っている想いというのが強くあるんですよ。本当はやっぱり好きだったとか、本当は憎かったということも全部想いなんですよね。そんな後悔もふくめてちゃんと描くのが、人間らしさじゃないかな。
西尾:笑いも今回の作品にとって重要ですね。
野尻:笑いは、誤解のないように言うと、その人たちが正直に生きてるってこと。むしろ自己責任とか言ってる人たちはその人の生に踏み込めてないんじゃないかなって思います。感情に正直に生きてる人を見て、自分が同じように生きられないから、笑っちゃうというのは実はあると思います。正直に生きてる人は滑稽に見えるかもしれない。でも、僕は自分に正直な人はうらやましいし、美しいとさえ思います。
西尾:富美とお父さんがそれぞれ長男の死に向き合って初めて外の世界へ出ていくときに、ふたりともが他人と道を塞ぎ合うというようなコミカルな場面演出がありました。
野尻:劇的に辛いことが起きた日常であっても、日々のすべてが変化するわけではない。他人にぶつかることもあれば、変な人とすれ違いもするだろう。人ってそういうときに辛いことはふっと忘れて素に戻るんじゃないかな。そういうのって僕は笑ってしまうし、人間臭いなって思っています。そういう意味では映画に笑いって重要だと思っています。
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西尾:木竜さんが演じた富美という役は、この作品の中でたぶん一番難しい役だと思いました。はっきりとした拠りどころがなかなかない、答えが出せない作品だと思うんですけども、この役にどうアプローチされましたか?
木竜:富美が感じてること、兄や家族に対する感情は、わりとわかるなあと思う部分が多くて、すごく私にも近い感じがしました。だから、役に寄せようという意識よりも、自分が家族や身近な人に対してどう思っていたか、今どう感じているのかみたいなことを野尻監督に正直にお話をして。私が自分自身と向き合ったら、監督もそれに向き合って下さってたので。脚本のなかで私が感じるままに演じることで、ちゃんと鈴木家のなかにも入れたと思います。
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西尾:演出で一番効率のいいやり方って、普通は役に寄せていくことだと思うのです。でも、そうではなかったと。
野尻:彼女は、富美が自分に近いものがあったと言いましたが、そこから進むのが実は大変で。たとえば兄に対して愛があったり憎しみがあったり、そこが本物に見えなきゃいけないとは常々思っていて、映画はそこが映るんで、そこに対しては追い込みはかけたつもりです。木竜さんも僕もこれがデビュー作に近いものがあるので、お互いむき出しでやろうぜ、ってことでやってきました。彼女が持っている本物の感情を僕は見たかったので。