是枝裕和(映画監督)
世界的に活躍する是枝裕和監督がかねてより撮ってみたいと公言していた、団地を舞台にした作品を完成させました。その映画『海よりもまだ深く』のロケ地となったのは、是枝監督が実際に暮らしていた東京・清瀬市の旭が丘団地です。
映画は決して団地だけに留まる話ではありませんが、OURS.では、団地のことに焦点を絞って話を伺いました。郊外の団地らしい静かな風景、給水塔、タコ公園…がリアルに、美しく描かれた『海よりもまだ深く』の世界。実は、是枝監督としても、自分が育ってきた団地で撮影をするというのは思いがけないことだったそうですよ。
是枝裕和
1962年生まれ。2013年、福山雅治を主演に迎えた『そして父になる』はカンヌ国際映画祭審査員賞など国内外の賞に輝く。2015年、『海街diary』で日本アカデミー賞作品賞、監督賞を受賞。その他の監督作品に『ワンダフルライフ』『誰も知らない』『歩いても 歩いても』『空気人形』など。
作家でありながら、探偵事務所に勤める中年男の良多(阿部寛)は、なかなかのダメ男。そんな良多が頼りにするのは、団地で気楽なひとり暮らしを送る母の淑子(樹木希林)。良多と良多に愛想をつかした元妻の響子(真木よう子)、息子の真悟がふとしたきっかけで団地に集まり、台風のため翌朝まで帰れなくなる。偶然生まれた、一夜かぎりの家族の時間だったが…。
原案・監督・脚本・編集:是枝裕和
出演:阿部寛 真木よう子 小林聡美 リリー・フランキー 池松壮亮 吉澤太陽
/橋爪功 樹木希林
5月21日より全国ロードショー
配給:ギャガ
→https://gaga.ne.jp/umiyorimo/
#1 「これってすごく団地なんですよ」
是枝監督は以前からいつか団地で映画を撮影したいと言われていましたが、その理由を教えてください。
是枝:僕は20代で団地を出てしまいましたが、父親が亡くなって母がひとり暮らしをはじめた時に、久しぶりに帰ってみるとかなり団地の様相が変わっていました。子どもが少なくなって、芝生がとてもきれいでした。木々も成長して、団地の4階、5階まで届くほどに大きくなっている。それがどこか不思議な風景で、単純にこの場所で撮ってみたいと思いました。今この風景を撮っておかないと、また変化してしまうと思い。ただ、そこで具体的なアイデアがあったわけではなくて、考え出したのは『空気人形』の準備をはじめたときからです。
2009年の『空気人形』の時からもう団地撮影を考えられていたんですね。
是枝:『空気人形』は原作とは設定を変えて、主人公とその周りにいる人たちが全員おなじ団地の棟にぽつぽつとひとり暮らしをしていて、そのうちのひとり板尾創路さんがダッチワイフと住んでいるという脚本を書きました。それで撮影の準備を進めたところ、撮影の許可がおりませんでした。自治会の許可と、撮影する棟の全員の撮影許可が必要だと言われたらしく。ダッチワイフと住んでいて、人殺しもある話だったからダメだったのだと思います。だから今回、満を持して。
UR都市機構東日本の撮影窓口となっている方に聞いたところ、ご自身が担当していた3年間で映画の団地ロケ撮影が成立したのは、今回の『海よりもまだ深く』だけだったそうです。
是枝:今回も最初は断られました。
そのように聞きました。どうしてもというスタッフの方の粘りと、自治会の方々が「是枝くんがこの団地で撮ってくれるならぜひ」ととても協力的だったとか。旭が丘団地にはまだお知り合いの方も随分いらっしゃるようですね。
是枝:そうですね、自分の育った団地は知り合いも多くて、ちょっと気が引けましたが、他を探しても許可のおりる団地がまったくなくて、やむを得ず…なんですが、結果的には、僕が育った間取り、風景で脚本を書いてるから、すごくスムーズに撮影ができてよかったです。
実際に撮影で団地に入ってみて、想定外だったことはありませんでしたか。
是枝:思っていた以上に狭かったです(笑)。だから、撮影が大変だったでしょうと言われますけど、逆にいえばカメラポジションに迷いようがない。テレビのある6畳間から台所のテーブルをなめて、冷蔵庫があって、奥の4畳半に抜けたところに仏壇がある、みたいな絵って実際に暮らしていた頃から完全に頭に入ってるものだから。
勝手知ってる我が家で撮影するようなものですね。
是枝:ベランダから台所、玄関に抜けていく時の電話や洗濯機の位置や、そこにすだれがあって…というのが、もうそこしか置きようがないんですよね、物もカメラも。きっと団地に住んだことがない人でも、友達の団地に遊びに行ったことがあれば記憶にある物の並びなんじゃないかな。
団地ってそうした共有の記憶がありますね。今回の作品において、団地という舞台でノスタルジーに留まらず伝えたいと考えられたことはどんなところでしょう。
劇中におけるタコ公園の使われ方もとても印象的。
是枝:難しいな…今の団地を肯定も否定もしたくなかったんですよ。ただいいですよってこともないし、単純に終わっていく場所かといえばそうじゃない。だから、昭和で時間が止まっているわけではなく、彼女(樹木希林演じる母・淑子)が平成をどう生きているのか、楽しく生きるためにどんなことをしているのかまでちゃんと見せたいということは意識しましたね。団地で映る家財道具も見てもらうと、主人公(阿部寛演じる良多)が子どもの頃からあるもの、主人公が大人になって買い足したもの、母親がひとり暮らしになって買ったもの、孫が遊びに来ることになって買ったもの、それらが混在しています。これってすごく団地的なんですよね。箪笥なんかでも、色が揃わなかったり段差ができて、その間に仏壇が置けたりして。
言われてみれば、劇中の団地の部屋で見えていたすべてのものに、あの家の歴史が積もっていました。
是枝:ほんと細かいことを言えば、阿部さんと真木さんが夜ふたりで話している部屋は、昔、阿部さんの姉が使ってた部屋という設定だから、本箱とかにちゃんとピンクが多いんですよ。途中で阿部さんが籠る、かつて自分が使っていた部屋に比べるとね。
その部屋のシーンがこちら。
劇中でそうしたことがいちいち説明されるわけではないので、気づいてないことがたくさんありそうですが、そうしたディテールの積み重ねなんですね。そういえば、阿部寛さんが部屋に籠る時、フスマに簡易の鍵をつけてるのが団地っぽいなと感じました。
是枝:男の子が自分の部屋をもらって、あそこにフックの鍵をつけるのは定番でしたね。僕はやってなかったけど、やっぱり友達がやっていました。親が寝ていてもこっそり外に出られるから、玄関に近いあの部屋がだいたい男の子の部屋になるんです。
団地育ちのリアリティですね。
是枝:ただ、自分が体験したことだから説得力を持つかといえばそんなこともないので。そこは取捨選択があります。
今や貴重になってきた、昔ながらの小さな浴槽も登場。
取材・文:竹内厚 写真:平野愛
*映画『海よりもまだ深く』劇中カットはギャガ提供、©2016 フジテレビジョン バンダイビジュアル AOI Pro. ギャガ