団地のひとインタビュー 003
正置友子(青山台文庫)
#1 「ひとえに本が好きだから」
1973年、千里青山台団地の正置さんのご自宅で「青山台文庫」は誕生しました。
当時、家族6人で暮らす3DKの自宅に大小の本棚11コ、週に1度、文庫を開く日には約100人もの子どもが集まってきたというから、大騒ぎの様子が目に浮かぶようです。
そんな青山台文庫は、70年代末から団地内にある集会所へと場所を移して、2015年現在も継続中!
敷地全体が傾斜になった青山台団地の中腹、一面ガラス戸になった開放感のある集会所で、代々受け継がれてきた蔵書、図書館から借りている絵本や児童書が本棚いっぱいに並ぶ様はとても気持ちがいいもの。
そんな青山台文庫に、正置さんを訪ねました。
正置友子
1940年生まれ。1973年、大阪・千里青山台団地で青山台文庫を始める。1994年、イギリスに留学してヴィクトリア時代の絵本研究で博士号を取得。現在も青山台に暮らしながら絵本学研究所を主宰。共著書に『保育のなかの絵本』(かもがわ出版)など。
団地のご自宅で始められた当初の青山台文庫のこと、まずは教えてください。
私が始めたのは1973年ですけど、石井桃子さんが『子どもの図書館』を書かれたのが60年代だったでしょうか、それから家庭文庫というのがぐっと広まって、80年代のはじめには全国に5千か所くらいの文庫があったんですよ。たぶんいまも3千か所はあるだろうと言われています。
『子どもの図書館』は、児童文学と翻訳で知られる石井桃子さんが自宅で始めた「かつら文庫」の活動についてまとめた本。1965年の出版です。それにしても、家庭文庫ってそれほどにまで広まっていた活動なんですね!
日本の「文庫」というのは、その道の人にはすごく有名なんです。だから、私が英語で書いて発表するようなときには、ホーム・ライブラリーとかじゃなくて、「BUNKO」と書いて伝えますね。町のひとが地域の子どもたちのために、こういう本のある広場をつくるという日本の歴史はすごいんですよ。
青山台文庫の本棚
では、正置さんも石井さんの著書に影響を受けて、青山台文庫を始められたと。
いいえ、私の場合は、本が好きだから。ひとえにそれだけの理由です。
子どもの頃からずっと本を読んで本を読んで、大学は英文科に入って、また本を読んで、考え続けてきました。ひとはなぜ生きているのかという疑問です。私は、大人もみなさん悩んでらっしゃると思ってたんです。だけど、大人の本ではどうしてもそのことについて応えてくれる本に出会えなくて。私が30歳前後の頃に、岩波少年文庫に出会ってとても感動して、こうした本が広く読まれてほしいと思って自宅を開放し始めると、大人は誰も来なくて、子ども達が100人くらいやってきたということです。
ですので青山台文庫を始めても、子どもたちへの関心はあまりなかったんですね。1994年から2000年まで、絵本の研究でイギリスに留学しましたけど、それもイギリス・ビクトリア時代の絵本を研究するため。芸術としての絵本への関心なんです。
まずはご自身の本への強い関心から始まっているんですね。「子どものために」という旗印を振りかざすよりも、むしろ信じられる気がします。
私の本のタイトルにもなっている「おかあさん、ごはんと本とどっちが好き」*というのは、長男が6歳のときに私に言ったことばです。家事でも何でもやりながら、とにかく読み続ける母親に対してね。
*『おかあさん、ごはんと本とどっちが好き 絵本の散歩道1』(創元社)
当時の青山台文庫の様子がこんな風に描写されている。“私はおなべをみがく時間があるなら、本を読んでいたいと思う方で、黒いなべがずらりと台所に並んでいましたし、文庫をやっていると、空箱やダンボールがよく入用になるため、たんすや本箱の上に積み上げてあり、私の家では、床面積の空間もわずかなら、白い壁などもどこにも見あたりませんでしたー子どもたちはよくやってきてくれたと思います。”
青山台文庫にたくさんの子どもたちが集まってきたのはどうしてなんでしょう。
どうしてなんでしょうね。すごいなあと思います。今のように、いろんなものがなかった時代、まだ「テレビに子守をさせないで」なんてよく言われていました。
右に見える集会室の2階に青山台文庫がある
増えるばかりの本と集まってくる子どもたちに対して、団地の一室では支えきれなくなって、開設4年後には市民ホールへ、そこもすぐ手狭になって、青山台団地の集会所へと場所を移されました。
公団の集会所というみんなの場所に、文庫を設置してしまうことの問題はありました。だけど、当時の自治会長さんがわかってくださって、地域の子どもたちのためになるんだから置いたらいいじゃないかっていうことで、集会所に本を置かせていただくことになりました。当時は、かなり白い目で見られてた方も多かったろうと思います。女の人がこんな活動をするのは、何か下心があるんじゃないかともよく言われましたね。
全国各地にある文庫、それぞれ横のつながりもあるんでしょうか。
そうですよ。大阪には「大阪府子ども文庫連絡会」という、世界に冠たる組織があります。学校の先生といっしょになって活動しているところもありますけど、大阪は先生には頼らないで、私たちがするわよ! ってバイタリティがすごい(笑)。当然、そういう組織に所属されないで活動をされてる文庫もあります。
家庭文庫が図書館の代わりを果たしていたところもあるんですね。
昔は、それほど図書館がなかったこともあって、文庫のみんなも図書館を要望する活動を一生懸命にやって、町に立派な図書館が建てられていきました。ところが、いま、図書館業務を民間に委託しようとする流れがありますね。ずっと文庫の活動をしてきた私たちのようなものは、一体何をやってきたんだろうって思います。この動きを止められないでいることがとても歯がゆい。
DATA
青山台文庫●青山台団地C42棟集会所2F/毎週水曜日15:00~17:00/年会費500円/本の貸出は5冊まで/団地住まいの方でなくても利用できます
参考図書
石井桃子
『新編 子どもの図書館』岩波現代文庫
石井桃子が1958年に開いた家庭文庫「かつら文庫」の記録。小さな図書室の奮闘記としても、また、通っていた子ども達の読書記録を追いかけるのも楽しい。新書で読み継がれてきた本が、石井桃子コレクションとして2015年新たに刊行。
正置友子
『絵本の散歩道』創元社
たくさんの絵本の紹介、青山台文庫での活動や日々のことが綴られたエッセイ集。全5冊あるがすでに絶版、ぜひ図書館で。
文:竹内厚 写真:平野愛
いまの図書館のことに話を向けたとき、正置さんの顔が少し曇りました。正置さんの考える図書館とは何か、さらに詳しく伺います。
→#2 図書館は未来への希望
THE BORROWERS
借り暮らし、貸し借り、賃貸にどんな可能性がひそんでいるのか。多彩に活躍する方々へのインタビュー取材を通してその魅力に迫ります。いいところ、大変なところ、おもしろさ、面倒くささ…きっといろんなことが浮かび上がるはず。