京都に住んで14年目になりますが、わたしはもともと北海道で生まれ育ちました。道内で転勤族で、3年ごとに引っ越しがありました。苫小牧、釧路、利尻、旭川、あとちょっとだけ札幌にもいました。自分にとってはどれも馴染みのある地名だけど、本州のみなさんはもしかして札幌しか知らなかったりするのでしょうか。
母親は滋賀県出身で、その出自をすごく誇りにしていました。一方で、結婚後やむなく移住した北海道のことは完全に馬鹿にしくさっていて、「北海道は文化の墓場だ」って罵っているのをよく聞きました。
その滋賀の地位は、関西では低いとわたしが知ったのは、京都に越してきてからのことです。バラエティ番組で京都人が滋賀県をあざ笑っているのを観ると、痛快でもあり、少し切ないような気もしました。
北海道にいた頃、母親は関西弁を、うれしそうに誇らしそうに使っていたのでした。母の、強いイントネーションに漂う「わたしはおまえら道産子とはものが違うんだ」と言いたげな響きがわたしは苦手だったのですが、今となってはその関西弁も、母親の内弁慶の象徴のようでなんだかかわいらしいです。
北海道の中ででも、内陸か、海側かによってイントネーションの違いはあって、引っ越すたびに「なまってる~」とからかわれました。自分ではわからない抑揚のクセは、引っ込み思案な性格に拍車をかけたと思います。発言のたびにドキドキしていました。
そんなある日、家に遊びに来たともだちが、母とわたしとの会話を聞いて「わー関西弁だ、かっこいい」と言ったのです。
か、関西弁ってかっこいいのか……!!
カルチャーショックでした。家ではわたしも母に合わせて自然と関西弁をしゃべっていたことに、ともだちに指摘されて、そのとき初めて気づきました。
「くるみちゃん関西弁しゃべれるんだ~、すごい!」
「えっ! わたし、いま関西弁だった!?」
無意識のうちに、学校と家とでイントネーションを使い分けていたのですね。
「関西弁かっこいい」って言われてからというもの、なまりを同級生に笑われるのがこわくなくなりました。「わたしは関西弁マスター」と心の中で確かめては、自分を支えるささやかな自信にしていました。
けれどもその自信はエスカレートし、やがて自分も北海道をバカにするように……。
いま、わたしはせっかく京都に住んでいながら、関西弁をかたくなに使いません。使わないよう気をつけています。
北海道に愛着があるわけではないのですが、関西依存だった母親みたいになるのはいやだし、なんとなく、いつでも所在無さげでいたい気がしています。
「関西弁ってかっこいいですよね~、ずっと憧れてたんです~。自分なんて北海道で~」とか、適当なおべっかを言って過剰にへりくだってしまうのは、よそ者でいるほうが気持ちが安らぐからかもしれません。
その安らぎが、転勤族だった頃の記憶に基づいているものなのだとしたら、もっとジプシーみたいに実際あちこち放浪すればよさそうなものなのに、なんでかもう14年も京都にいます、滋賀じゃなくて京都に。
京都に住むことが、母親への当てつけになると思っているのかなあ。
ありうる。
根が深いですね。
借りものの土地の、借りものの家に住んでいることで感じる卑屈さは、けれども自分によく似合っているとも思います。
転勤生活からはじまったこの初心、今後も忘れず持ち続けたいです。
若木くるみ
1985年北海道生まれ。京都在住。第12回岡本太郎現代芸術賞展で岡本太郎賞受賞。後頭部を用いて他人のアイデンティティや物語を自分の身体に取り入れる作品を制作する。ランナーとしては、台湾の「環花東超級マラソン333km 女子優勝」(2013)、ギリシャの「スパルタスロン246km 日本人女子1位 世界女子9位」(2016)など。