#


「こんばんは~」。
次々といろんな人が集まるこの場所は、兵庫県の生野銀山で働いていた人がかつて暮らしていた鉱山社宅。私がこの社宅で暮らし始めたのは「生野ルートダルジャン芸術祭」に出展が決まってすぐのこと。普段の私は産業遺産写真家として活動しているのですが、今回はいち作家として参加、「生野の町に住みながら作品を作りたい!」。そう思い、トランクに荷物を詰めて神戸を出発しました。

0-img_7961


電車に揺られること2時間で生野駅に到着。さっそく社宅目指して歩いていくと、木造3階建の旅館跡や古民家など往時を感じさせる建物を次々と発見!
この町で銀が発見されて開坑されたのは、なんと807年のこと。日本最大の鉱脈が見つかり、織田、豊臣、徳川の幕府直轄鉱山となり、1889年からは佐渡金山と並んで宮内省所管の皇室財産となるなど、どんどん栄えていきました。

1-008


さらに1896年に三菱合資会社に払下げられ、国内有数の鉱山となったのですが、残念ながら「山はね」などが原因で採掘が困難となり、1973年に閉山となりました。当時の坑道の総延長は350km以上、深さは880mにまで達していたそうです。

2-img_1840


現在は「史跡 生野銀山」として誰でも坑道を見学できる施設となっていて、江戸時代と近代の坑内がそれぞれ見ることができるので、当時の人がどのように働いていたのかを知ることができるのでオススメです。
また、レトロな建物以外にもお寺が8つずらりと並ぶ「寺町通り」があったり、当時の暮らしが再現されている社宅跡があったりと、町中どこを歩いても歴史を感じることのできる産業遺産だらけ。

3-img_4132


そして今回、私が暮らす社宅ももちろん産業遺産。産業遺産写真家としてはこんなに嬉しいことはありません!
この社宅は寺町の上にあるため「寺の上社宅」と呼ばれていました。閉山後、朝来市生野支所(旧生野町)が三菱から無償提供されて以来、活用方法について検討が行われています。

4-img_9639


今回は特別にアートイベントに出展する芸術家のアーティスト・イン・レジデンス(以下、AIR)として使用させて頂くことになったのです。


間取りは落ち着いた感じの和室が3つあり、浴室にはなんと五右衛門風呂が! テレビでは見たことがあったのですが、実際自分が入ることになるなんて夢にも思わなかったので一気にテンションが上がりました。
そんなこんなでこの日から、参加芸術家の一人として、AIRでの共同生活が始まりました。

5-img_9656


もちろん一緒に暮らす人はほぼ初対面の方ばかり。少しの緊張とワクワクした気持ちを抱えた初日は私を入れて男女3人。社宅がものすごく落ち着く空間だったからか、すぐに打ち解けることができました。
毎日みんなで食事を作ったり、こたつを囲んで話をしたり、いきなり来た流星群をみんなで眺めたり、まるで小学生の頃に行った自然学校の大人バージョンみたいですごく楽しい日々。さらにアートイベントの日が近くなってくるにつれてどんどん芸術家の数が増えていき、最終的には10名以上の大家族状態に。

6-img_9654


私は全部で4週間この社宅で暮らしたのですが、その中でもすごく面白かったのは、アーティスト同士の交流だけでなく地元の人たちが遊びに来てくれたこと。連日、みんなでお酒を飲みながら明け方までいろんな話をしました。生野の歴史だけでなく地元の人ならではの話、いくら話をしても尽きることはありません!


現在、旧鉱山遺構のような産業遺産の場合、坑道や選鉱場などの生産施設が優先的に保存され、社宅などの非生産施設は解体されてしまうケースがほとんどです。社宅が持つ「暮らす」という本来の機能を活かしたAIRという活用は、社宅跡という産業遺産の保存活用に新たな可能性になると実感しました。


前畑温子
写真家兼産業遺産探検家。NPO法人J-heritageの設立に関わり、産業遺産を巡るツアー企画の立案・ガイドなどを担当。著書に『女子的産業遺産探検』(創元社)がある。

カリグラシコラム

そのことを仕事にしている人もいれば、普段の暮らしの中でモヤモヤとした思いが浮かんでいる人もいる。借り暮らしにまつわる意見や考えを、さまざまな人たちが自由なスタイルで綴ります。

NEW ARTICLES
/ 新着記事
RELATED ARTICLES
/ おすすめの関連記事
近くのまちの団地
住まい情報へ