• TOP
  • OURSアーカイブ
  • 竹久夢二、中原淳一、花森安治から 暮らしを読み解いてみると… No.2

そして、中原淳一(1913~1983)の世代が活躍しはじめます。

山田:淳一に特徴的なのは、家を描くという意識よりも、部屋を描くんです。自身で創刊した雑誌『それいゆ』(1946~1960)でも部屋の連載があって、”私の部屋”というものに対して意識的になる。”私の部屋”をトータルコーディネイトしましょうと。淳一が描いたこの時代のひとつの夢が、”私の部屋”なんですね。今までは、家長だけがいばっていて、子どもは部屋なんて持てなかったから。

夢二が描いた部屋とも明らかに違ってますね。

山田:夢二の描く部屋は明るいんだけど、あまり生活感はなくて、通りすぎていくような部屋ですね。だいたい夢二自身が生活してないような人だったから。
文化住宅では部屋を箱化して、その中に家長のための書斎がつくられた。それが、だんだん箱がいくつもできて、”私の部屋”へと変わっていく。住宅の中で少しずつ個人の夢が実現していく感じでしょうか。

朝ドラ『とと姉ちゃん』で一般にも広く知れ渡った花森安治(1911~1978)。彼が手がけた雑誌『暮しの手帖』の創刊も『それいゆ』と同じ1946年ですね。

山田:花森は、淳一の『それいゆ』にも協力していたから、一時期はかなり仲がよかったんじゃないかと想像できるんだけど、このふたりが似ているのは古物再生の意識かな。たとえば、中原淳一は戦時中、更生服を描いた慰問絵はがきシリーズを出しています。着古した服を仕立て直して、暮らしをおしゃれに工夫しましょうっていう提案で、「創意工夫」が標語になっていた戦中という時代に即応しながら、そのちょっと先を表現していました。

戦中の創意工夫ぶり、映画『この世界の片隅に』でも描かれていましたけど、中原淳一はそんな時代にあってもおしゃれですね。

山田:そして、花森は『暮しの手帖』を創刊するわけだけど、淳一と花森の路線ってよく似ているんです。『暮しの手帖』の前身は「衣裳研究所」だし、『暮しの手帖』の誌面企画としても、使い古したスカートにアップリケをつけましょうというような提案が掲載されました。

古物再生と創意工夫は、中原淳一と花森安治のどちらもが提案していること。

山田:そう。ただ、非常に近いものがあるふたりだけに、違いにも敏感だったろうと思うんです。『花森安治戯文集』という本には、淳一と花森の往復書簡も入っていて、そのあたりの違いを見ることができます。ファッションからはじまったふたりだけど、花森はだんだん暮らしの比重が大きくなって、そこに批評性が入りこんできます。

花森が考えた暮らしのイメージとはどんなものでしょう。

山田:花森が提案して広まったことのひとつに、木のリンゴ箱に包装紙を貼って、本棚として再生しましょうという提案があります。工業製品じゃなくて、身の回りにあるものを自分らしく飾って、自分の部屋に自分の宇宙を完成していくんですね。
夢二の時代、文化住宅のあたりから住まいの箱化ははじまりますけど、非常に合理主義的な花森安治は、箱的なもの、空間がかなり好きだったんだろうと思います。シンプルな中に世界を入れこんでいく。だから、花森は団地も積極的に受け入れました。今なお、花森が生きていたら、どう団地の生活をつくりかえるかを考えてみるのも楽しいかもしれませんね。

取材・文:竹内厚
(2017年12月21日掲載)


THE BORROWERS

借り暮らし、貸し借り、賃貸にどんな可能性がひそんでいるのか。多彩に活躍する方々へのインタビュー取材を通してその魅力に迫ります。いいところ、大変なところ、おもしろさ、面倒くささ…きっといろんなことが浮かび上がるはず。

NEW ARTICLES
/ 新着記事
RELATED ARTICLES
/ おすすめの関連記事
近くのまちの団地
住まい情報へ